団塊世代の商売人を両親に持つ氷河期こと、いわゆる絶望世代の生まれ。
同級生にLP制作というと必ず「レコード作ってるの?」と聞き直されるというレコード文化が一般家庭の日常にあった最終期の東京で育つ。
思春期は全盛SONYのカセットテープ用ウォークマンに育てられ、中学校時代には東芝ルポと、MS-DOSを触っていた。
ポケベルが流行した高校時代に日本はバブル崩壊、大学受験シーズンに阪神淡路大震災が発生。大学時代には間髪入れず地下鉄サリン事件、ITバブル崩壊、アジア通貨危機、日本にも金融危機が到来。ドコモのiモードが全盛となり、個人が携帯電話を持つ時代へ突入。
失われた10年が20年になり、30年となって更新中。
次々に押し寄せる時代の大変化の津波と、戦後日本復興を支えた親世代の価値観との狭間で現在に繋がる「変わらざるを得ない局面」を前線でジェットコースターにでも乗るように経験し続けた世代でもあると思っている。
そして、しばしばそれは世代全体にとって「戦争を知らない子供たち」とはいえ、命がけだった(はず)。
しかし、この厳しい世代背景のおかげで、「変わること」に対する躊躇や恐れをすでに振り切っていること、また昭和の、白熱球のような豊かな味わいを感性に刻み残して大人になれたことは、
この世代が「不運の世代」と呼ばれようとも、その中で与えられた最大の財産だとも(今ようやく)思いつつある。